今日は「水差(みずさし)」についてのノートです。
お手前の中で使われる水を入れておく器を「水差(みずさし)」と呼びます。
お抹茶を点てる際に釜から汲み上げてお湯を使うのですが、その減った分を補充する意味で最後にお水を釜に入れます。
その時に使うのがこの水差です。
陶磁器で作られるものが殆どですが、金属や木地、塗りの物もあり、大きさや形状も様々。
今回はその水差しの中でも「釣瓶水差(つるべみずさし)」と呼ばれるものをご紹介します。
釣瓶水差(つるべみずさし)とは
釣瓶とは井戸から水を汲み上げるあの桶を想像していただければ、イメージが湧くかと思います(よく時代劇で女中さんが一生懸命汲み上げているシーンがありますよね)完全に日用品なのですが、それがどうしてお茶の世界の道具になっているのか・・・筆者も不思議でたまりませんでした。しかし、この日用品をお手前の中に取り入れてきた歴史がお茶の世界には時折あり、こういったお道具に不意に出会うことがあるのです。
茶器にふさわしい道具を「見立て」てきた茶道の先人たち
お茶の本来の意義は生活の中で「美」を見出すこと。この想いのもと、茶道の歴史の中でも特に初期の頃の方達が、様々な日用品を茶器として取り入れてきました。これを茶道の世界では「見立て(みたて)」と言います。今回ご紹介の鶴瓶水差もこのひとつ。侘茶の精神を打ち出したとされる武野紹鴎(たけのじょうおう)が水屋でそのまま鶴瓶を使うことを始め、千利休(せんのりきゅう)が御座敷の中でも使用するようになったのだとか。純粋な目で日々のあれこれを眺めている人でないと出来ない・・・気づけない・・・境地のような気がします。自身の感覚にも自信がないと出来ませんよね😦
「見立て」は民藝の心に繋がる?
この「見立て」る行為、民藝運動と考え方が何となく似ている気がしていました。民藝運動とは、手仕事によって生み出された日常づかいの雑器に美を見出そうとする大正時代に始まった運動のことです。身の回りに溢れたものたちをフラットな目線で眺め、道具本来の美しさをきちんと見極める心って、繋がる部分があると思いませんか?
民藝運動の主唱者である柳宗悦さんも、茶道と民藝に関して共通点を見出し、発信されてきてますので、私が色々ここでまとめるのは大変おこがましいのですが・・・お茶室で初めて釣瓶水差に出会った時に、私は「すんなり」とこの共通点を感じました。
釣瓶水差のお道具としての美しさはもちろんですが、このお道具の背景を知った時、何だかお稽古がとても楽しかったのです。現代に残る、この先人たちの想いを理解した上で御座敷に入ると、少しだけお茶の世界の深さを知ることができる気がします。
釣瓶水差の扱いは少し難しい・・・
ちなみにですが、私はこの水差を扱う際に手がプルプル震えます(笑)蓋を開ける際、向かって左の蓋をまず初めにスッと手前に引く所作があるのですが、緊張して真っ直ぐ引ける気がしないのです。色々考えすぎて、手も震え先生にクスクス笑われることも・・・。まだまだ精進が必要です😅この水差、季節としては5月ごろに使用されることが多いのですが、来年また出会っても動じない心を身につけておきたいものです。