今日は茶花に関するノートです。
茶花については、以前の投稿「茶花(ちゃばな)のこと〜椿と山茶花、アヤメと菖蒲〜」で取り上げていますが、
今回は「木槿」にフォーカスしてまとめていきます🌸
冬の椿、夏の木槿
お茶の世界の茶花と言えば代表的なものは椿。
そして夏はこの木槿が挙げられます。
木槿は、朝摘んで飾ると夕方には散ってしまうような“足の早い”花だそうです。
このことから、「槿花一朝(きんかいっちょう)の夢」なんて言葉があります。
人の世のなりの儚さを、その姿に重ねた寂しいけど少し美しいワードですね。
しかし、儚さの象徴とするだけでは勿体ないなと思うくらい、綺麗な花を咲かせるのが木槿。
花びらがとても薄いため、よく見ると透け感があります。
夏のお茶席でその透明感に出会うと、見る人はきっと、いつも以上にお花の拝見に時間をかける気がします。
夕方には散るからこそ、今じっと目の前の花の美しさを見つめておこうと思うものです。
千利休の孫、宗旦(そうたん)も好んだ木槿
白の一重花で、中心が赤い底紅種(そこべにしゅ)の木槿を「宗旦木槿」と呼びます。
宗旦は千利休の孫で、侘茶を突き詰めた人物としても知られています。
その宗旦がこの木槿を好み、茶席によく用いたことから、現在ではこのような呼び名がついているのだとか。
夏になるとよく見かける花の一つだと思います。
筆者はこの花を見ると、幼い頃の夏休みの思い出が脳内にプカプカと浮かび上がります。
少しセンチメンタルになる花です。
木槿に恥じない生き方
この宗旦から時代は少し進み、表千家八代目を継いだ啐啄斎(そったくさい)も自身の人生の中で、恐らく木槿をキーワードならぬ、“キーフラワー”にしていた人物だと筆者は考えています。
こちらの啐啄斎さん、8歳という若さで表千家を継ぐことになり、様々な苦難を乗り越え当主としてのお仕事を全うします。
そして、隠居される際に詠んだ句に「木槿にも恥じず、二畳に大あぐら」というものがあります。
木槿は宗旦のことを指すとされていますが、恐らくここまで表千家を繋いできた先人の皆さん全てを指すのではないかなあ・・・と筆者は想像しています。
その方たちに恥じないくらい、天命を全うし、日々を紡いできた・・・それくらい達成感も持ち合わせながら、今こうして堂々と畳の上に座っている・・・達成感と安堵感に満ちた瞬間を表現したのでしょうか。
自分の役割を一旦終える時、このような心境になることが出来ているって素晴らしいですよね。
そうなれる人って、きっと一握りのような気もしますが、可能な限り、そのステージに近づける自分でいたいです。
芙蓉と木槿
ちなみにですが・・・こちらの木槿、そっくりの花があります(そっくりな花って多いなあ・・・)
芙蓉(フヨウ)という花で、見た目はかなりそっくり。
よく見ると、雌しべと葉の形に違いがあります。芙蓉は雌しべがカールしていて、葉も大きめ。
木槿は雌しべが真っ直ぐで、葉も少し小さめで切れ目が入っています。この違いを楽しみながら、夏を迎えていきたいですね。